HISTORY

1985 結成  ・某G大学に入学したジョンは、高校時代からの友であるサチオとともにフォークロック 愛好会に入り、ビートルズバンドを組もうと企んだ。集まったメンバーは、ドラム、ニシヤマ君、ベース、ヨコシマ君であった。
  バンド名の由来 ・4人は道すがらバンド名を考えた。ジョンはそばに国道17号が通っていたので、「ROUTE17」がいいと思っていたが、ニシヤマ君らの「俺たちたいしたことないよね」と いう自虐的且つ謙遜的な心意気と、ビートルズがかつてトニーシェリダンのバックバン ドをしていたという故事にちなんで「BACK BAND」という名前に決まった。
  河原で練習 ・ジョンとサチオは週末、ギターをもってよく利根川に行き、練習に励んだ。また、サチオ邸別邸(元蚕小屋)をスタジオにした。
  初めてのステージ ・某G大学のおんぼろ小屋で、演奏曲は「ラブミードゥー」1曲。ちなみにジョンはパジャマ姿で、フォークギターの弦を逆に張り、弾けないのに左で弾いた。
  ポール加入 ・ポールは当時、フォークロック愛好会で「アップルシード」というバンドベースとして活 躍していたが、実はビートルズバンドをやりたかった。それで、何回かいっしょに練習するうちにメンバーになった。ヨコシマ君は何となく抜けた。 大学1年 初期のライブ。
1986 リンゴ加入 ・同じ学部・学科にリンゴが入ってきた。ビートルズが好きで、なおかつドラムにも興味が あるらしいことを誰かが教えてくれた。新歓コンパの席で口説き、一緒にやることになった。 
  教室で練習 ・マイクスタンドは望遠鏡の三脚
  バンド名の変更 ・新しいバンド名を考えているとき、練習中の教室の黒板に「否定的精神」という言葉が消されずに残っていた。(何かの講義で教授が書いたものだろう。)その言葉に触発され、バンド名を「否定的精神クラブバンド」と改名した。G大芝生LIVE 服装に気を使っている。
1987 「LIVEらいおんみどり」時代 ・当時、前橋市千代田町のKFCの近くにビートルズやオールディーズ中心の「LIVEらいおんみどり」という店があり、たびたび出させてもらった。
1989 ビートルズ・バンド・コンテスト ・8月24日、神奈川県立青少年センターにてビートルズ・シネ・クラブ主催の第1回ビートルズ・バンド・コンテストに出場した。「プリーズプリ ーズミー」をやったが、惜しくも賞には届かなかった。そのときの優勝バンドは確か「かぶとむしん」だった。
    ・このころ本屋2階LIVE 高崎の某本屋2階を借りてやった。通りすがりのおばさんが「いいもの見せてもらった」と言って小遣いをくれた。
  吉祥寺曼陀羅Ⅱライブ ・リンゴの親友でシンガーソングライターのヒデキちゃんのバックバンドとして曼陀羅Ⅱに出た。ジョンレノンがハンブルク時代、トイレの便器を首からぶら下げて演奏したという故事に基き、パンツ姿で「ユーキャントドゥザット」を歌った。
  ラブホテル クリスマスディナーライブ ・某貸スタジオの「R2-D2」似のオーナーの紹介で、ラブホテルのクリスマスディナーライブのバイトが舞い込んだ。しかし、ポールはその直前、運悪くバイクで事故って、入院してしまったので、仕方なく「太ったポール」を代役に立ててその場をしのいだ。
1990 サチオ脱退 ・サチオは自宅の2階から鳥になったつもりで飛び降りたら骨折してしまった。そのころからバンドを辞めたいようなことを口走るようになっていた。理由は定かではないが、社会人としてのけじめといったところか・・・。
1991 バンド名の変更Ⅱ ・女の子の白いTシャツの下からヒントを得て、バンド名を「ブルーブラジャー」にした。
1992 オリジナル曲 ・「ましゅまろちゃん」 「マージナルマン」発表
1993 バンド名を元に戻す ・「ブルーブラジャー」はバンド名を名乗るとき、恥ずかしいとポールが言うので、古典懐古趣味的な「BACK BAND」に戻した。
1997 渡英 ・ポールの知人の英国人のつてで、イギリスのロンドン、リバプールを訪れた。ロンドンでは、パブで知人の友達を集めてフォークライブをした。また、初めてのストリートライブもやってみた。リバプールでは、地元のバンドに混ぜてもらい、2箇所のライブハウスで何曲かやらせてもらった。反応は上々で、港の大男の大きな手に握手を求められた。リバプールにて
1998 ジョージ原田加入 ・リンゴの家の近所に、ギターが上手でバンドをやりたがっている人がいるらしいと聞き、サチオの抜けた穴を埋められるかもしれないと考え、スタジオに招いた。それ以来、メンバーになった。ケニーズカフェでのライブより
2002 バンド名の変更Ⅲ ・ジョンは新しいバンド名を考えていた。とある床屋さんの名前からヒントを得て「WORLD'S END」に決めた。 つづく・・・